バークリー留学記 1995夏編 1995秋編 1996春編 1996夏編 1996秋編 1997春編 FAQ |
1996秋編
シカゴを経由してニューヨークに向かった友人2人に呼ばれてニューヨークに行った。学校のレジストレーションと授業開始の合間だった。バード・ランドでジョー・ロック(Vibes)のライヴを観たり、ミュージカル「ショー・ボート」を観たりした。 休む間もなく学校が始まり、夜は毎日のように3人で酒を飲んでいた。ブルーマン・グループという顔を青く塗った3人の男が、太鼓やチューブで出来た楽器などを使う人気のショーを観た。ダック・ツアーという、水陸両用車でボストン観光が出来る人気のツアーにも参加した。車に乗ったままチャールズ川にザブンと入るのだ。水上では子供に操縦をまかせたりもするなごやかなもの。しかし運転手について「クワッ、クワッ、」と言わなければならない。明日彼らはロサンジェルスに向かい、帰宅の途に着く。 961009 Wed. 今年もボストン・シンフォニーの季節が始まった。先日マーラーの第5交響曲と、サミュエル・バーバーの「Knoxivill, summer in 1915」というソプラノ付きのオーケストラ曲を、全席自由のオープンリハーサルの一番前の席で聴いた。これでたったの$12.5は安い。第5交響曲では、冒頭のトランペットソロが何度もこけてどうなるかと思ったが、それ以外は大変良かった。ボストン・シンフォニーはホルンがすごく綺麗だ。しかし、3メートル位の距離から見る小澤征爾の指揮をする顔は、はっきり言って大変...、いや、もう世界に入っていた。恐いくらいだった。 東北地方ではすっかり芋煮会の季節だそうだが、9月の「仲秋の名月」は、ボストンでは皆既月食(luner eclipse)でした。とても綺麗な夜だったので、アパートメントの屋上でひとりで赤く染まった月を見ていました。ボストンはすっかり秋を通り越して冬になりつつある。冬の香りが懐かしい。アパートメントの暖房もついて、夏の間あんなに活発だったボストニアンたちも冬眠の支度に入ります。 961016 Wed. ボストンでは100g 200円位のステーキ用の鮭(開かずに輪切りにした形のもの。厚さ3cm位)が手に入る。私はよくムニエルにしてレモン・バター・パセリ・ソースをかけて食べる。これがすごくうまい。 サケといえば、マサチューセッツ州では、屋外で酒を飲んではならない法律があるそうだ。そればかりでなく、酒を買った後それを紙の袋に入れてもらって、外から見えないようにしなければならない。買われた酒を他人が見ることによって、その人の購買意欲をそそらないためと思われる。さらにDrivers lisence か passport がないと酒を一滴も飲めない。 しかし酒は非常に安い。ビールなら一本100円位。ワインは安いもので300円、高いので2000円以上する。私は大抵900円位のカルフォルニア・シャルドネを飲んでいる。ウイスキーはあまり変わらないみたいだ。 たばこは全く問題ない。公共の場所では日本と同様吸えない。アメリカではいまだに多くの人が吸っている、なんて思うのはバークリーにいるからなのかも知れない。 961026 休日を利用してボストンから汽車で45分のコンコードという文学と歴史の街に行って来た。ルイザ・メイ・オルコットの「若草物語」や、ヘンリー・ソローの「ウォールデン・森の生活」などで有名の所。美しい紅葉の季節で、古く質素な煉瓦の街並み、黄や赤のかえでの木々、そして澄み切った青い空のコントラストが素晴らしかった。都会に住み、都会ばかりへ旅をしていた自分だが、こういう美しい風景に出会い心が落ち着いた。死ぬ前に必ずニューイングランドの紅葉を見ろ、とどこかで誰かが言ったそうだ。その通りかも知れない。 961125 Mon. 日本から来た友人が仙台から「じゃじゃ麺」を持ってきてくれた。「じゃじゃ麺」が海を越えたのはおそらく初めてだろう。「じゃじゃ麺」とは、盛岡や仙台で味わうことが出来る、「きしめん」の様な麺に黒い肉味噌をぐちょぐちょに混ぜて食べる独特な食べ物である。私は東北大学にいた4年間、このじゃじゃ麺のファンだった。 ルームメイトのD、Bと4人で、本場の作り方にならって調理して、味わった。泣けた。キュウリが日本の物よりも太くて水っぽいので、千切りのシャキシャキ感が出にくかったのは許せた。ルームメイトの2人はこのグロテスクな食べ物をどう思ったのだろうか。残念ながらアメリカ人にこれを食わせることは出来なかった。 ボストン交響楽団のオープンリハーサルで、ラベルのオペラ「子供と魔法」を演奏会形式で聴いた。2階バルコニーから乗り出すようにして。BSOでは12月に毎年恒例でこのようなオペラを上演するようだ。去年はストラヴィンスキーの「道楽者の堕落の過程」というオペラだった。フランス語の原語に英語の字幕付きだったので早さについて行けなかった。でもこんな珍しい作品を生で聴けて本当に嬉しい。スコアを読みたくなったが実に高く2万円近くするのだ。あきらめた。 961204 Wed. たくさんの宿題とともにサンクスギヴィングの休日を過ごした。数カ月の苦悩の末、ついに14分のジャズ・アンサンブルのための音楽を完成させた。バークリー留学中で最も大きな作品となるはずである。実に大変だった。 日本の友人からの情報で、日本でリリースされている CD「Canon / Slava」に、私と同姓同名のNaoyuki Honzawaという方がアレンジャーとして参加していることを知る。(arranged and Mixerd by Naoyuki Honzawa と書かれていた) 友人の多くは僕と誤解していたそうだが、それはやはり誤解である。それにしてもこの珍しい名字で同姓同名が、しかも音楽業界にいらっしゃるなんて。僕が音楽の仕事をするようになったときいろいろと問題があるかも知れないなあ。
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