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ハイデルベルク城での結婚式(1998年4月14日〜15日)
心に残った地元のカメラマン夫婦による庭園での写真撮影 980414 Sun. ザルツブルク最終日の朝は、ホテル・オイローパで昼ごろまでゆっくり休んで、後に結婚式参列者となる予定の3人とともに、荷物を引きずり、ホテルのすぐ近くのザルツブルク駅に向かった。駅の中では、ウイーンでもお世話になったレストラン「Rosen kavarier(バラの騎士)」にて、コーヒーやデザートを食した。 売店でビールやワインなどを買い込み、ホームで目的の車両を探したが、切符に書いてある番号から車両がなく、5人はでかい荷物とともに唖然とした。同じように車両を探している旅客がいたので、その人達とともに係員に聞いているころ、ちょうど僕らの乗る車両が来て連結していた。そうして僕らは無事にハイデルベルクへと旅立つことができた。 6人掛けのコンパートメントに僕ら5人が収まり、ふたたび宴会が始まった。廊下では小さな子供がミニカーで遊んでいて、どこの国も変らないんだなあ、と思った。途中、各自貴重品を身に付けて、意を決してビュッフェへ向かい、食事をとることにした。5人が収まる席がなかなか空かなくて、しばらく待ったが、確か周りのお客さんのご協力で、割と早く席を確保できたような気がする。何を食べたのか忘れたが、多分ウェイターのお勧め通りに食べたに違いない。または何語でも分かる「スパゲティ・カルボナーラ」とか。 ミュンヘン駅に到着。フォーク型の駅なので、ここからは逆向きに動くようだ。かつて1997年の冬に来たときの大きくて綺麗な駅舎に懐かしさを覚えた。あの時は寒かった。 夕方6時ごろ、ようやくハイデルベルクに着いた。タクシー2台で分乗して、ホテル「アルト・ハイデルベルク」へ移動した。ホテルでは、ウイーンで一度合流した兄夫婦と再び合流した。彼らにも明日の結婚式に参列してもらう。そのまま兄夫婦に連れられて旧市街まで歩き、簡単に市内観光をした。レストランも迷ったあげく、イタリア・レストランでワインやスパゲッティなどを食した。店の中は結構イタリア語が飛び交っていて、料理もうまいし、ここはイタリアか?と錯覚しそうだった。 ホテルに戻り、明日の結婚式で着るウェディング・ドレスとタキシードを、スーツケースから出してみたら、予想通りシワシワだったので、日本から持って来た携帯用アイロンで苦労してシワを伸ばした。そのせいで結構寝るのが遅くなった。 980415 Mon. 結婚式当日のスケジュールは厳しい。6:30に朝食を済ませ、8:20までに支度を整え、ロールスロイスのお迎えを待つ。若いドイツ人の運転手とガイドのベッカーさん(日本人)と挨拶し、ハイデルベルク城へと向かう。車内では、広々とした革張りの車内の匂いを楽しみながら、車窓に写る中世チックなハイデルベルク旧市街を眺める、なんて暇はなく、神父さんに伝えるために、僕らの結婚するまでのいきさつや、なぜハイデルベルクなのか、などのインタビューに答えなければならなかった。 城の門をくぐる。先回りしていた兄がビデオ撮影中。僕らがロールスロイスから降りると思っていた場所でなかなか降りず、三脚を移動させて苦労している。後にビデオを見たら、ここは実に面白い記録となっていた。最初に構えていた場所では見事に裏切られ、2回目に構えていた場所でも僕らは降りず、そのかわり大きなエンジン音の芝刈り機に乗ったおじさんが、カメラの前を通り過ぎていく。3度目でようやく僕らが降りるのが写っているという感じ。
城までの車内で話したことに基づいて、聖書の言葉に加えて、2人の音楽のことや、父が「学生王子」を見てハイデルベルクにあこがれていたこと、などがアドリブで盛り込まれ、結構長い、オリジナリティのある式になった。後でガイドさんに聞いたら、アドリブの部分の通訳が大変だったそうだ。 参列者・神父さんとともに、名物の大きなワイン樽の前でシャンパンを開けて乾杯した。神父さんとともに写真を撮った。その後、予定外だったが、参列者をホテルまでロールスロイスで送ってくれた。やさしい! 2人はカメラマンとその助手(これまたいい感じのドイツ人夫婦)と小雨の中、庭園とかでいろいろなポーズを取らされて、写真を撮ってもらった。途中雨が強くなって雨宿りしたりした。ポーズや顔の表情つくりなどがとてもうまい、明るいカメラマンだった。庭の樹に手をもたれかけたり、結構はずかしいポーズも取らされた。一生に一度だけだからまあいいだろう。この雨の中の撮影が一番楽しい思い出かも知れない。 雨宿りの間、ガイドさんからも、ワーグナーの話や、神父さんがチェロを弾き、アマチュア・オーケストラに参加している話などを聞く。ドイツでは各都市にアマチュア・オーケストラがあり、定期的にコンサートをこなすのを条件に、政府から助成金が出るのだそうだ。素晴らしいねえ、本場ドイツは。ガイドさんは、実はハイデルベルクで音楽事務所を経営していて、日本へもパイプオルガン奏者などを送っているそうだ。 雨宿りのせいで、ロールスロイスによる市内観光の時間がなくなってしまった、と告げられる。なんとか15分だけ、ホテルに帰る道のりを遠回りしてもらって、旧市街を眺めた。橋を渡ったりした。ホテルに着いて、ガイドさんに礼を言う。 時間はまだ12時過ぎ。僕らは着替えて、参列者5人のおごりで、近くの中華料理店で昼食をとった。参列者5人は、もう一度ハイデルベルク城に登って観光をした。 その間、僕らは郵便局に行き、小包み用の段ボールを買い、ホテルに戻ってウェディングドレスなどもう必要のなくなったモノを詰めた。郵便局に行く途中、 「ところでさあ、さっきの中華料理、いかがでした?」 という会話があったことを忘れてはいけない。料理店がいくらまずくても、食べている途中にそのような発言をしてはいけない。これ常識。 小包みを郵便局に持っていき、テープを借りるのに、ドイツ人の若者とやりとりしたり、それを日本に送る時に窓口の係員がドイツ語でベラベラしゃべられて、全然分からないのに祐子が「アーハー?」とか相づちを打ったり、それはとにかく楽しい作業だった。英語に似ている響きの言葉だけ拾って、ニュアンスで分かってしまう祐子ってすごいなあ、と単純に感心したりした。 (続きは乞うご期待)
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