旅行記
ボストン出発〜ロンドン編
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 旅行記 by Naoyuki Honzawa

ボストン出発〜ロンドン編(1996年12月28日〜30日)

寒空の下のビッグ・ベン
寒空の下のビッグ・ベン

夢の鉄道「ユーロスター」でドーバー海峡を渡る


961228 Sat

 ギリギリまで荷物の準備に追われていた私と祐子は、夕方6時頃ボストンのアパートを出た。これがないとアメリカ再入国が出来ないという、I-20 (学生ビザとともに重要な書類)の裏のサインを、冬休みが始まってから慌てて取りに走ったことも忘れて。

 機内で食事が2回も出るのを知っていながら、ローガン空港ではサンドイッチとビールとクランベリー・ジュースを食べてしまった。8:20pmボストン発、7:20am ロンドン着。ヴァージンアトランティック航空は、乗った人もれなく小さなポーチに入ったヘッドホン、くつ下、目隠し、歯磨き、ブラシなどがもらえるという個性的で素晴らしい航空会社なのだ。しかもスチュワーデスがみんな若くてキレイでサービスが良い。特にキレイなおネエさんが1人いて、2人で思わずファンになってしまったのだが、泣いて止まない子を一所懸命あやす姿に涙を流した。


961229 Sun

 アメリカでは夜中なのだが、ロンドン時刻7:20am位にGatwick空港に到着、意外と厳しくなかった入国審査を通って、全く使い慣れない英ポンドで市内へ向かうGatwick Expressに乗り、ロンドン郊外の素朴な風景に一応感動しながら、ロンドンのVictoria Station(ヴィクトリア駅)に到着した。

 駅中荷物を引きずり回した後、荷物をようやく預けることに成功して身軽になり、電話でホテルを探すことにした。が、どこをあたっても満室で、十数件はあたったと思うが、とうとう諦めて駅にあるHotel Reservation(手数料5 pound)の窓口に探してもらった。Victoria Stationから遠いQueensway Stationの近くの60 pound(約1万円)のビジネスホテル風のダブルを取った。この年末年始の時期は観光客が異常に多いらしい。先が思いやられた。

 Victoria Stationのモールの方にあるカフェテリアでイングリッシュ・ブレックファーストを頼んだ。が、出来るのが遅いし、店員がダラダラしているし、まずいし、ロンドンは最低かも知れない、という後に正しく証明される予定の説が頭をよぎった。トイレに20 pence必要なのは許せた。約30円だから。

 この日のロンドンは駅構内でも手袋が必要なほど寒く、年末年始にかけて記録的な寒波がヨーロッパを襲っていたということを後にボストンで知るのだが、凍てつく曇り空の下、バッキンガム宮殿まで歩いた。宮殿とQueen Victoria Memorialの周りには、寒いのに観光客が群がっていたが、固く閉ざされた門のすぐ内側には、英語とその他の言葉と日本語で、「次の衛兵交代は明日午前11時」とか、むなしくも書かれていた。

 記念碑の前で写真を撮っていたりしていたら、後ろから「すいません」と。振り向くとインドか中近東っぽい人がカメラを持っている。日本人向けのアヤシイ商売早くもここで登場か、と思ったら、単に写真を撮って欲しかったらしく、東京に住んだ経験のあるインド人の若者だった。ついでに私達もシャッターを押してもらった。

 冗談じゃない寒さの中、St. James's Park(セントジェームズ公園)の脇の道を行き、Guards Museum(衛兵博物館)などという、もはやどうでも良くなったものを横目に、Westminster Abbey(ウエストミンスター寺院)とHouses of Parliament(国会議事堂)、 そしてBig Ben(ビッグベン)を見る。と言っても、建物の反対側の歩道から、観光客の群がる中、それらしき建物めがけてシャッターを押すという程度である。

 そのまま地図を見ながら迷ってしまい、すごく暗くてこわいトンネルとか通ってドキドキしながら無事Waterloo Station(ウォータールー駅)にたどり着き、パリ行きの特急ユーロスターの予約をした。ほとんどが満席で、翌30日12:53pm発の喫煙車で我慢することにした。

 その後はよく覚えていないが、地下鉄でホテルに戻った気がする。あまりの部屋の狭さを嘆きながら寝た。多分10時頃、近くのレストランでスパゲッティなどを食べた。


961230 Mon

 ホテルの朝食はビュッフェ形式でなかなかグッド。時差ボケと疲れで、チェックアウトは11時近く。地下鉄の駅で1カ所しか開いていない切符売り場に数十人の列が出来ていて、これがロンドン名物のQueue(行列)か、しかしほとんどが観光客っぽいぞ、などとイライラしながら並んで、ようやく地下鉄に乗ることが出来た。Queueというのは、要するに駅員やイギリス人一般の要領の悪さが原因して発生する現象で、いくらでも改善の余地があるのではないか、と思うがどうだろう。名物なんて喜んでいる場合ではない。

 途中Oxford Circus(オクスフォード・サーカス)という乗換駅で、私が荷物を両手に持って祐子を横して、混雑の中狭くて汚い階段を登っているときに、黒い布に身を包んだアヤシイ2人の女が、祐子のリュックのポケットのファスナーを開けたらしい。幸い簡単には開けられないリュックの中の方に重要な物が入っていたので、何も盗まれずに済んだが、そのスリの手を祐子が一度握ってしまったらしく、気持ち悪いとしばらくショックを受けていた。

 怒りをあらわにした日本人観光客2人は、狭い地下鉄の中でキリキリして周りの人達を睨み付けながらWaterloo Stationへ向かった。駅の広い構内でようやくホッと一息ついて、サンドイッチとコーヒーを買って立ち食いした。駅には座れる場所はほとんどない。そうこうしているうちに、パリ行きのユーロスターのチェックインが20分前なのを忘れて、18分前位に急いでチェックイン、「夢の鉄道」ユーロスターに乗った。

 向かいの人の妙に臭いタバコを我慢しながらも、英語とフランス語の混ざった車内の雰囲気と、ドーバー海峡トンネルを越えた後のTGV路線で出された時速300kmにスピードに興奮した。途中カフェでビールと水を買って乾杯した。

 Gare du Nord(パリ北駅)に着いたのは5:50pm、ただし時差のためロンドンより1時間遅い。ロンドン・ヴィクトリア駅よりも単純な造りなので、迷わずに両替を済ませ、ホテルの予約窓口がまだ開いていたのは実に幸運だったのだが、英語で難なく北駅近くのホテルを取ることが出来た。いや、そんなことはない。ホテル予約窓口を探すのに、切符売り場と後に判明した窓口で2人で通じにくい英語でまくしたて、そこがTourist Infomation(旅行者案内所)でないことと、Tourist Infomationがどこにあるのかということが理解できるまでかなり長い時間が経過したことを忘れていた。

 疲れ切った2人は重い荷物を引きずって、暗くて寒いパリの空の下へ出て、遠回りをしてホテルにたどり着いた。その後長い時間寝たのは言うまでもない。夜10時ごろお腹が空いたので、一番怪しくない店を迷いに迷って、白ワインとキッシュとラザニアを食べた。ラザニアよりも祐子の頼んだキッシュが100倍うまかった。店員とは片言の英語でやり取りしていたが、疲れていた祐子は店員にDodo ?(幼児語で眠いの意味)と訊かれていた。腹を満足させて、2人はエレベーターのないホテルの階段を4階まで登って、寝た。ヨーロッパの3階というのは日本やアメリカの4階なので、騙されてはいけないのだが、後に私達はロンドンで再び騙されるのである。

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