旅行記 |
南部の街・ニューオーリンズ編(1995年8月25〜29日)
友人のDとニューオーリンズ4日間の旅に出る。朝7時に飛行機でボストンを出て、午後3時頃着いた。時差は2時間。ユースホステルでは電話で予約したはずなのに予約されてなくて、すったもんだがあったが、無事に自分達の寝場所を確保できた。夕方とりあえず、T・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」で有名なストリートカーに乗って、観光の中心フレンチクォーターのバーボンストリートを見た。地ビールとエビ料理(ケイジャン料理といって辛くておいしい)を食べた。 この通りは観光地化されてはいるが、ブルース、ロック、そしてジャズなどあらゆる種類の音楽が溢れている。アメリカの文化を象徴する様々な音楽が長崎チャンポンのように入り乱れているのだ。何度も迷ったあげく、こちらのストリップショーの1つを拝見させて頂いた。どろどろしていなくて実にサワヤカなものだった。その後2人はVIPルームに誘われたが...。
2日目の昨日はトロリーバスで月並みな観光をした。3日目にして僕たちの「旅行」は「旅」になったのだ! というのは、昨晩ユースホステルで台湾出身のフランシス(アメリカンネーム)と知り合い、この街に詳しい彼が車でこの街を案内してるという出来事があったからだ。フランシスの彼女・弥生さんが福岡出身の日本人で、2人はニューオーリーンズ大学に通っている。どうしてそんな彼がユースホステルに泊まっていたかは謎だったが、その2人が実にいい人だったのだ。 さらにもう1人ユースで知り合った、夏休みに2カ月かけてアメリカを旅行しているという日本の大学生と5人で、ブードゥー教(アフリカ起源の宗教)博物館や水族館などを見た。今日は昨日よりもさらに暑く、40度近くあると思うが、それで皆疲れて、弥生さんの友達の家で日本人と中国人留学生9人くらいで集まって話をしたり、カレースパゲッティ(米がなかった)をご馳走になったりした。 夜は由緒正しいデキシーランドジャズの名所プリザベーション・ホールに行ったが、今にも壊れそうな小さな建物に人が詰め込まれていて、死ぬほど暑かった。その後ハウス・オブ・ブルースの現代風ブルースで涼んだ。 950829 今日も結局フランシスに連れられてルイ・アームストロング・パークやフレンチマーケットに連れてってもらった。生まれて初めて指輪を買ってみた。銅のシンプルなやつで、7ドル。その後、空港でフランシスと涙のお別れをしてボストンに帰ってきた。フランシスは卒業して間もなく台湾に帰る予定で、勉強を続ける弥生さんとは悲しいお別れをしなければならないのだ。そんな彼らことを思うと少しセンチになってしまう。 途中飛行機はニューヨーク上空を飛んで、マンハッタンの島の形に宝石を散りばめたような美しい夜景がくっきりと見えた。翼よあれがニューヨークの灯だ、って感じだ。ボストンに着いたらもちろん行きつけの中華料理店に直行。アパートに帰ったら、セルジオとTさんがいて、これから川の字になって寝る予定だ。
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