1998.7.30
別宮貞雄氏は、東京大学理学部物理学科を卒業した後、同文学部に入り直して美学科を卒業、その後しばらくしてからパリ音楽院で作曲家ダリウス・ミヨーに師事したという、非常に変わった経歴を持つ作曲家である。作風は古典的で、十二音技法や電子音楽などの非人間的で実験的な前衛音楽に真っ向から対立している。
昨年秋、私は日本交響楽振興財団によるコンサートの招待演奏、“チェロ協奏曲「秋」”の初演を聴くことができた。
ところで私は、多くの随筆を残した物理学者・寺田寅彦が大好きである。科学・芸術・文学などの幅広い知識をもとに、世相や社会現象を冷静に洞察し、それでいて非常に暖かみのある人間的な文体をもつところが、読んでいて気持ちがいい。別宮貞雄氏のこの本もそれに似たところがあり、飾り気がない不器用な文体のなかに、音楽の本質や現代音楽の問題点を見抜く鋭さがあり、痛快である。
たとえば、「ピアノの音色」という問題に関してである。ピアノの音色はピアニストによっていろいろになる。というのは正しいか? 私はアメリカ留学中にたまたま同じ問題を考えたことがあった。サックス吹きの友人と打楽器の私が、中央ドを同じように一回弾き、鍵盤が見えない別の場所のピアニスト2人が、誰の音か当てられるか試してみた。分かると言っていた2人とも結局当てられず、ピアノの音色はピアニストに依らない、というささやかな私の主張に自信を与えた。著者は、ピアノの発音機構から音色の変化を与えるのは不可能であるが、ピアニストが音楽を奏でた場合、一つ一つの音の前後関係の違いが音楽性の違いとなり、これを人があたかも音色の違いとしてとらえるのではないか、と述べていて、私のもやもやしていた考えにカタチを与えた。
もう一つは、音楽の「構造(造形美)」についてである。これはすごい。音楽と絵画の類似性を、聴覚と視覚の心理的作用の類似性から考察して、旋律的要素と図形、楽器の音色および和声の変化を絵画における色彩と、それぞれ比較している。しかし著者は、むしろ音楽は建築と類似している、と述べている。建築には絵画と違って「重力」という制約があって、上下を逆にしては成り立たないものである。ゴシックの大伽藍はたくさんのアーチの組み合わせであり、上下を逆にすると途端に崩れてしまう。一方、音楽には「時間」という制約がある。万能継ぎ手「属和音→主和音進行」があるため時間を逆にすると音楽にならない。ちなみに現代の十二音技法というのは、こうした万能継ぎ手を全くなくしたものであるから、「無重力状態」なのだそうだ。私はここまで考える著者の発想に圧倒されてしまった。
本書では他に、著者がフランスでミヨーやメシアンに師事した時のエピソードや、音階、絶対音感と相対音感など、多くの話題を載せている。27年前の本とは思えない新鮮さを私は感じた。
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